戦士が戦っている様子

ネズミと人間の戦いは、はるか昔から


ネズミとの戦いは、とても以前、はるか昔から行われています。言ってみれば、ネズミは人の宿敵の一つでもあるでしょう。
では、ネズミと人間の戦いの歴史とはどのようなものなのでしょうか。その点について、紹介していきます。

日本におけるネズミの歴史

縄文時代からその存在が確認されている

人間とネズミとの戦いにおいて、日本での事情はどうだったのでしょうか。まず、ネズミという存在が日本で確認されたのは、歴史的には縄文時代のことです。
縄文時代には、貝塚というゴミ捨て場がありました。

その場所に、ネズミの死骸が確認されています。ネズミは小さい体型ですので食用ではないことから、駆除される対象であった可能性があります。
ネズミそのものは縄文時代よりも前に日本列島に居たと思われます。それゆえに、日本人の歴史の初期である縄文時代から、その存在が確認されているのでしょう。

人の多い場所にはドブネズミが発生した

縄文時代に確認されていたネズミは、アカネズミやヒメネズミという、野生に生息するタイプのネズミでした。そのため、今、私たちの生活の周りに出現するネズミとは少し違った種類です。

私たちが戦っているネズミの一つが確認されたのは、弥生時代の痕跡からです。ドブネズミの一種が弥生時代の一部の遺跡で出土していることから証明されています。

このドブネズミは、人間が多く住んでいる集落に生息するような特性があります。ですので、現代と同じようなネズミとの戦いは、弥生時代に始まったと見ることもできます。

ネズミ退治はこうやってはじまった

落とし穴を作るところから始まった可能性がある

ネズミ退治の最初の方法として考えられているのが、土坑という穴を掘る方法です。あくまでも仮説の一つですが、縄文時代の土坑の中に、ネズミの死骸が多く見つかったという例があります。このことから、土坑がネズミを駆除するための落とし穴だったのではないか、という説があるのです。

確実な証拠が見つかっていないため、土坑がネズミ駆除対策であったという確証はありません。ですが、土坑に落ちたネズミの死骸が食べられていないことなどから、土坑がネズミ駆除に用いられた最初の方法であった可能性はかなり高いと考えられます。

ネズミ返しが用いられた形跡がある

具体的にネズミ退治の方法として登場したのが、ネズミ返しを用いるという方法です。
ネズミ返しとは、現在でも様々な分野で用いられる方法であり、過去の日本では高床式倉庫などで用いられていたネズミ退治の方法です。

ネズミ返しは、柱などに取り付けられており、それ以上先にネズミが入らないようになっている仕組みです。この仕組みは、弥生時代に取り入れることがはじまった可能性が高いとされています。ネズミ退治の方法は、縄文時代の土坑もしくは弥生時代のネズミ返し、この二つのどちらかが最初だと考えていいでしょう。

進化とともに街と人家に住み着くようになったネズミ

クマネズミの環境適応の高さ

ネズミは徐々に進化することによって、街や人家に住み着くようになりました。その要因の一つとして、クマネズミの環境適応の高さが挙げられます。現在、都市部で出現している多くのネズミが、クマネズミと呼ばれている種類です。この種類のネズミは、乾燥した空気や、高い場所などに適合しています。

この特性が、現代の建物の高層化などとマッチするようになり、都市部でもネズミが繁殖するようになりました。そして、現代の自然の無い都市部であったとしても、ネズミは住み着いています。その適応能力は、人間以上かもしれません。

ドブネズミも都市に順応してきている

ドブネズミは人目につかず、湿気の多い場所を好むため、都市化によってその個体数は少なくなってきていました。また、都市部の目立つ場所ではなく、目立たない場所で生息をするということもあったようです。

しかし、その都市化が加速することによって、ドブネズミが隠れている場所にも人の手が加えられるようになると、隠れていたドブネズミが逆に都市部に流れてくる現象が起こっています。

都市環境には十分馴染めてはいないものの、街の中でも一際賑やかな場所でドブネズミの目撃例は多数あります。ですので、ドブネズミもまた、人家や街という環境に順応できるよう進化してきていることが伺えます。

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まとめ

ネズミははるか昔から人間の生活の近くにいました。そして進化することによって、現代の都市化された環境の中でも、人間の近くで生息しています。
ネズミの進化が有る限り、もしかすると昔から続いているネズミとの戦いは、これから先も続くかもしれませんね。